嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

【その”正しさ”はただの「虚像」】

 
 
人生において、
「歩む道を”間違えた”」
「あの選択は”間違えていた”」
「人生に”迷っている”」
 
 
などなど・・・・
 
 
今までの過去に、後悔をしている人。
今の現状に、不満を覚えている人。
これからの未来に、不安を感じている人。
 
 
こういった人達は、多く存在する。
また、こういったニーズに対して、
多くのビジネスも存在する。
 
 
「正しい選択を共にしよう!」と、
自身のビジネスに勧誘する人。
 
 
「迷わないように導こう!」と、
成功哲学をベースとしたコーチ・コンサル
を提供する人。
 
 
こういったビジネスは時代の流れとして、
自然なものなので、特に問題はないだろう。
 
 
しかし、疑問も多く残る。
 
 
何かに対して”間違い”と感じるには、
そもそも、何か”正しい”モノを認識する必要がある。
”間違い”に気付いた人達は、
何を”正しい”としているのか?
そして、それは本当に”正しい”のかどうか?
 
 
また、そんな”迷える”人達を自信満々に導く人達は、
その伝える内容、具体性、ノウハウが
本当に”正しく”導けるものと認識しているのか?
また、その根拠とはなんだろうか?
 
 
まず、”間違い”に気付いた人達について・・・・
その”間違い”を認識するに必要不可欠な”正しさ”だが、
基本的には自分自身より素敵な生活をしている人を
見て”正しさ”とする事が多い。
このように、素敵な他人を”正しさ”とすると、
今を作り上げた過去を含めて、自分は”間違い”
となってしまう。
 
 
まずは、この仕組みに気付いた上で、
もう一度自身が”間違い”なのか?
その”正しさ”は与えられていないか?
考える余地はあるだろう。
もちろん、比較する事が悪いことではない。
しっかりと比較をした上での判断が必要なのだ。
 
 
そして、”迷える”人達を導く人達について・・・
その学んだ成功哲学について考えた事はあるだろか?
その読んだ本について疑問を持った事はあるだろうか?
 
 
一つ例えをあげよう。
マズローの「欲求5段階説」だが、
少し考えれば矛盾に気付く事ができる。
 
 

第一段階:生理の欲求
から始まり、
第五段階:自己実現の欲求
に行き着く。
これらを段階的に満たしていけば、
次へ次へと高次の欲求へと進むとい考えだ。
 
 
しかし、少なくない数の成功者は、
成果を上げたその先に、
セックスやドラッグに溺れる事を
我々は少なからず知っている。
セックスは第一段階の
生理の欲求に該当する。
 
 
第一段階に満たされなければ、
段階的に高次の欲求を満たせない
と理論づけているが、
高次の欲求を満たせたとしても、
一番底である低次の欲求は
満たせていない状態などいくらでもある。
 
 
そもそも、この理論は実証実験で
この仮説を説明できる結果は得られていない。
これは世間を見ても理解ができる。
なぜなら、
この理論を取り入れた人で、
成功者の割合よい、
失敗者の割合の方が圧倒的に多いからだ。
 
 
成功者である数%を見ているのは
愚の骨頂である。
 
 
あくまで、一例であり、
マズローの理論だけを否定しているわけではない。
疑える余地がある事を証明しただけである。
 
 
このように、そのノウハウや学びは
疑うに値する存在なのだ。
 
 
こんな事にも気付けず、
「私の知識、学び、教えは正しい!」
「人を導く事ができる!」
「人々を救うのだ!
なんてのは、ただの思い込みに過ぎない。
そして、導ける確率も極めて低い。
 
 
本来”正しさ”や”間違い”は
その人それぞれが作り上げた
「虚像」に過ぎない。
 
 
それでもその「虚像」を
「実像」に変える覚悟があるのなら、
甘んじて今の自分を”間違い”と認めるべきだろう。
ただし、世の中に転がっている
”間違い”だらけのノウハウに答えを求める事だけは、
オススメはしない。