嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

The・ポジティブワールド


「どうせならポジティブに生きよう」
「前向きにとらえた方が幸せだ」
「プラス思考で考えよう」



この様に、昨今は“ポジティブ”であることが流行っている。



もちろん、これに便乗したビジネスも多い。



・ワクワク系
・キラキラ系
・楽しい事だけしよう系
などなど・・・
数えきれないほどだ。



では、この“ポジティブ”だが、
どの様に“ポジティブ”は成立するのか?


仮面ライダーで例えよう。



最終回でショッカー達が全滅し、
世界に平和が取り戻された。
番組はここで終わるが、
本来世界はここで終わらない。



ショッカーがいなくなってスグは、
感謝されるだろう。



しかし、同時に仮面ライダーが正義かどうか?
これを証明する事が出来なくなるのだ。



逆に言えば、ショッカーという“悪”が居たからこそ、
仮面ライダーが“正義”である事も認識できたのだ。
“正義”だけが残ってしまっては、その“正義”は成立しない。



そう、その“ポジティブ”は
“ネガティブ”という
概念がなければ成立しないのだ。



そして、“ポジティブ“を共有している人達がいるが、
そもそも、“ポジティブ”かどうかは、
その主観が感じ取るものであり、
本来、人の共通としたポジティブなんてのは無い。



起こり得ているのは、
“事実”だけだ。



雨が降るという“事実”に対して、
ポジティブに捉えられるのは、農家の人達が多い。
ネガティブに捉えられるのは、外回りの多くのサラリーマンである。



客観的に見たとき、起こっているのは“事実”であり、
各個人の主観が、その「ポジティブorネガティブ」を
決めているだけである。



「○○をする事が“ポジティブ”だ!」



と言う風に誰かが言葉にしたとき、
聞いた側は、
「そうか!その解釈や捉え方は、ポジティブなのか!」
と認識する。



完全に与えられた認識であり、
他人から押し付けられた概念に過ぎない。



そして“ポジティブ”が集まって何をするか?
「ネガティブよりポジティブの方がイイよね!」
「ネガティブはよくないよな!」
っと、自分たちが”ポジティブ”である事を
確認し安心する。


“ネガティブ”を本気で無くそうとする人もいるが、
本当にネガティブがなくなったら、
自分たちがポジティブなのかどうか?
それすら分からなくなる。



そう、
「ショッカーのいない仮面ライダー
状態である。



“ポジティブ”だけの世界で「予見」されるのは、
その“ポジティブ”メンバーの中で、
更なる、“ネガティブ”を作り出して、
自分たちが“ポジティブ“である事の確認を繰り返すのだろう。



つまり“ポジティブ”が
“ネガティブ”という概念を作りだす。



自分たちが“ポジティブ”で在りたいがために・・・・
その確認をして、安心したいがために・・・・



“ポジティブワールド“が何を生み出すか?
“ネガティブ”と勝手に設定された人達は
本当にネガティブなのだろうか?



“ポジティブ”が必ずしも
正解というわけではないのだ。