完璧を求めると・・・・
「強要をしてはいけません」
という考えを強要する人がいる。
「偏見をもってはいけません」
という偏見を持っている人がいる。
「世の中に正解はない」
という正解を与えてくる人がいる。
「自立をしなさい」
という依存を促す人がいる。
「選択をしない」
という選択をする人がいる。
言葉の世界とは常に“矛盾“がある。
そして、世界は言葉で出来ている。
故に、世界は“矛盾”している。
“矛盾”していない人など誰一人存在しない。
完璧な人は存在するのだろうか?
絶対的な考えはあるのだろうか?
完璧な人を「神様」だとしよう。
神様に誰にも絶対に持ち上げられない石を作ってもらう。
その石を神様が持ち上げられなかったら?
神様は完璧ではない事を証明してしまう。
では、その石を神様が持ち上げたら?
誰にも持ち上げられない石ではないため、
神様は完璧ではない証明となってしまう。
故に、完璧な存在しない。
他にも。
神様に、「四角い丸を作ってください」
と、頼もう。
四つの角を持った丸とは?しかし丸は角がない。
つまり、作れない。
これは、“矛盾”を表現する際に
よく使われる例えである。
つまり、完璧はないのだ。
絶対・正解・必ずなど・・・・
そんなものは何一つないのだ。
それでもこの言葉の世界において
愚かにも、絶対や完璧を追い求める人がいる。
「不安になりたくない」
「失敗したくない」
「嫌われたくない」
などと語り、現状維持を選択する。
こういった、
「失敗したくない」「嫌われたくない」
といった考えの前提には、
「成功している」「好かれている」
という考えが必要である。
しかし、実際はどうだろうか?
大して成功もしていなければ、好かれてもいない。
そう、“ただの勘違い”だ。
もはや失敗していて、
嫌われている事に気付いていない始末。
そして、存在できない
完璧を求めて行動をしない。
何も気付かず、知らず、理解しない
愚かな人である。
そしてより、失敗し嫌われるのは目に見えている。
いい加減気付かなければ、
存在しない完璧を求める人生に陥ってしまうだろう。