嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

“無い事の証明”、“有る事の勘違い”

アダルトビデオには種類が多くある。
いろんな企画をつくり、主に男性の欲望を満たす。



その性癖や欲望は個人によってそれぞれである。
SMが好きな人もいれば、
OLや秘書などの設定が好きな人もいる。



なぜ、この様なアダルトビデオが流行るのか?



“擬似体験“だ。



一般的には現実に出来ない事を、
代わりに画面の中で行ってくれる。



一言で言えば、
欲望の代行
である。



今はアダルトビデオで例えたが、
実は、これはアダルトビデオだけではない。



恋愛ドラマや小説も同じである。



不倫のドラマが根強く人気があるのは、
やはり“擬似体験”をしたいからだ。
もちろん、“擬似体験”だからリスクはない。



映画、スポーツ観戦、本、テレビ、アニメなどを始め、
裁判などの死刑の求刑もこれに該当する。



憎きカタキを殺す事は犯罪に当たるため、
死刑の制度を使い間接的に自身の欲を満たす。



自分では出来ない。ルール上やってはいけない。
こういった「禁止」をされている事に対して、
擬似的ではあるが、「禁止への侵犯」をした場合、
人はものすごく満たされた気持ちになる。



しかし、この満たされた気持ちも束の間、
次に襲ってくるのは、なんとも言えない
「虚無感」だ。


なぜ、この「虚無感」が襲ってくるか?



それは、
あくまで“擬似体験”だからだ。
つまり、自分自身が実際に体験できていない。
現実にそれを手に入れられていない事の証明だからだ。



“擬似体験”をする事により、
その一瞬の快楽を得て、
その後は、自分に“無い事の証明“してしまい、
「虚無感」に襲われる。



しかし、この「虚無感」は実は大事だ。
なぜなら、“無い事の証明”が出来るからである。



そう。
無い。と分かれば
“手にするという”
選択肢が現れる。



自分には“無い“。
しかし、理想のその人には“有る”



このギャップへの認識が人を大きく
変化させるキッカケになる。



しかし、最近の理想の手に入れ方と言えば
本当に愚かでバカバカしい。



成功者の話を聞いたり、本を読んだりし、
「自分にでも出来るかもしれない!」
と、“無い”ものを“有る”と思い込むという行為。



これでは、
“無い事の証明”ではなく、
“有る事の勘違い”にすり替わる。



“無い事の証明“
無い事の現実を受け入れること。



“有る事の勘違い”
きっと有ると思い込んでいるだけ。



“ある事の勘違い”は翌日になれば、
やはり“無い”のだ。



こんな無駄な事を繰り返している人があまりに多すぎる。
こんな行為をいつまで続けるのだろうか?