嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

自称”一途”はありがた迷惑

「私は一途だから、相手を大切に出来るんだよね。」
「私は一途だから、めっちゃ尽くすし、その人しか見れなくなる。」
「私は一途だから、振られる理由はいつも、重たいなんだよね」



この様に“一途”を語る人間は本当によくいる。。



では、“一途“とは何か?



シンプルな意味では
「一つのことに集中したり、打ち込む様子」
のことだ。



ただ、ここで言う一途とは、
パートナーの事を想い、尽くすこと。



しかし、自称“一途”な人間ほど嫌われる結果が多い。
それはなぜか?



答えは簡単だ。
パートナーがその“一途”をどう捉えているか?だ。



押し付けられるその“一途”はパートナーからすれば、
完全なありがた迷惑だ。
その“一途”を押し付けてくる。
それは、嫌いになるのも無理はない。



パートナーを大切にしたり、尽くしたりするのは自由だ。
しかし、パートナーがそれを“どう捉えるか?”は別問題である。



極端な例えではあるが・・・・
多くの人にとって、“殴る”という行為は最低とされている。
しかし、一部のMな人は、“殴る”という行為が欲しくてたまらない。
Mな人に対して、“殴らない”行為の方が苦痛でたまらないのだ。



“一途“とは、
パートナーが感じるもの
であって、
自分自身が感じるものではない。
そんなものは、“一途”な自分に酔っているだけだ。
まあ、酔っているだけならまだマシだが、
そこに何か見返りを
“期待”するようであれば、
一番始末がわるい。


実は、こういった問題は学生のような恋愛関係だけでなく、
夫婦関係にもよくある。



「私はこれだけ家事を頑張っているのに・・・・」
「私はこれだけ仕事を頑張っているのに・・・・」



この様にパートナーに対して見返りを“期待”をする。
当のパートナーはどの様に捉えてるかも考えず・・・・



一途な人間ほど、
「私は相手のために尽くせているのか?」
「私は本当に一途になれているのだろうか?」



と自分自身の行動に疑問を持ち、
真に相手の事を想う人のことだろう。