嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

「素の自分」を求める事の愚かさ。

「自分に素直になれ!」
「無理に何かを演じなくていい!」
「本当の自分をさらけ出すんだ!」
「かっこつけない、弱さを出すんだ!」



コーチ、コンサル、アドバイザー業界では、
もはや
“名台詞”
の様に聞く言葉だ。
もちろんそれ以外でも、耳にする場面はある。



曰く、
自分の心の声を聞いたり、本音を出すことで、
自分が本当にやりたい事や好きな事に気付き、
自分らしく理想の“成果”や“結果”を手にしよう。

という事だ。



これらの考えは
「素の自分」
があるという事が大前提である。



しかし、「素の自分」とは何か?
その「自分らしさ」とは何か?



まず、「自分らしさ」とは何か?



人の自我の形成は、
その環境によって全てが決まる。



日本人が日本語をしゃべり、
日本の文化を身に付け生活をするように。



その育った家庭環境や、学校や会社での
人間関係や環境によって作られるのだ。



つまりその「自分らしさ」とは、
関わった「他人らしさ」で作り上げられる。



もちろん、この「自分らしさ」は
誰にもマネを出来るものではない。



しかし、あくまで他人らしさの“集合体”である。



そして人は、
その作られた「自分らしさ」を
他人に対して表現する。



その目的として、
自分の存在を認識してもらうためだ。



では、どの表現が「素の自分」に値するのか?



それは、
両親か?兄弟か?親友か?
恋人か?夫婦か?師匠か?弟子か?



否。

1人1人に対して演じ方は全て違う。
時と場合によっては同じ人に対しても
演じ方は変わる。



表現という概念自体が「素の自分」ではない!
という声が聞こえてきそうだ。


しかし、言葉に感情や想いが入る時点で、
それは演じている事になる。



1人きりでいる事が「素の自分」なのか?
しかし、それは誰かに伝わらない時点で、
証明にならない。



ちなみに、一人きりの状態が唯一の「素の自分」
であると仮定した場合、
どんな日々を過ごそうと、一人になれば、
その「素の自分」になることになる。



しかし、家に帰って毎日同じ感情や想いにはならない。
その一日によって大きく変化する。


では一体「素の自分」とは何か?



そんなものは証明できず、存在しえないのだ。
つまり、
“演じていない自分はいない“



コーチやコンサルタントに「素の自分」
を出すように求められ、導きだされる。
この時点で新たな自分を演じているに過ぎない。



そう、
「素の自分」を演じている
に過ぎないのだ。



今後、成果や結果を求めるのであれば、
「素の自分」を演じるのではない。
「成果を出す自分」を演じなければならないのだ。