嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

”常識”が”非常識”を作り上げる


世の中には“常識”という言葉がある。



この“常識”はよく使われる。



会社の常識、公務員の常識、起業の常識、独立の常識、
営業の常識、人間関係の常識、恋愛の常識、夫婦の常識、



などなど・・・



そして人はこの“常識”の枠から外れる事を恐れる。

非常識、変態、変人、気違い、などの概念だ。



人はなぜ、この“常識”の枠から外れる事を恐れるのか?



まず、“常識”とは何で作られるか?
それは、当人の過去によって作られる。



例えば、
日本人が家に入る時は靴を脱いで入る。
食事の時に箸を使って食べる。
これらは、日本の文化である。
過去にこの文化で生活をしたからこそ、
今、当たり前の様に身に付く。
そしてこれが“常識”となる。



この様に、“常識”は当人の過去によって作られる。



では、この“常識”の枠から外れる。
事をなぜ恐れるか?



もし、日本の家に靴を履いたまま上がるとどうなるか?
もし、食事の際に手で食べるとどうなるか?



皆まで語らずとも分かるだろう。
変な人扱いをされるのは明白だ。



そのため、その習慣に従う事が多い。



では、その他の“常識”と“非常識”のボーダーラインとは?



実は、極めて“曖昧”であり、分かりにくい。
そのため「守りにくい」のだ。


そこで、気付けない人は仲間外れにされたり、
“非常識”
な人として扱われる。



では、“非常識”とされた人は、
本当に“非常識”なのだろうか?
その“曖昧”なボーダーラインとは一体何なのか?



“常識”の明確な定義は存在しない。そもそも、時代の流れによっては
その日本の文化さえも変化しているくらいだ。



明確な“常識”が無いため、
そのボーダーラインも曖昧になる。



しかし、“非常識”な人は常に存在する。
それはなぜか?



実は“常識”という概念が
“非常識”を作り上げている。

もっと言うと、
“常識”でありたいが為に“非常識”を作り出しているのだ。



もし世の中が“常識”しかなかったら、
それが本当に“常識”かどうかを証明できない。



○○レンジャーなどのヒーロー番組も、
悪役が居なければ成立しない。



そして、もし悪役を完全に倒した世界を想像してほしい。
ヒーローである彼らは必要がなくなるし、
時間が経つと彼らがヒーローかどうかさえ判断できない。



これは、“常識”も同じである。
本来は明確な“常識”の定義がないため、
“常識”は存在しえない。
そこで、“非常識”を作り上げる事によって
それ以外が“常識”として存在する事ができる。



人は自身が“常識”である「安心感」が欲しいだけなのだ。
そのために“非常識”をつくりあげる。



しかし、“常識”にとらわれている人ほど、
これからの時代の流れに乗れない最大の要因でもある。