嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

質問とは“権力の行使”

質問。
これは、対人関係であれば日常茶飯事に行われる。



どんな質問があるか?



悩んでいる友人に、
「なんか悩み事でもあるのか?」
授業で分からない事を先生に
「○○はどういう意味か?」
警察が路上で市民に
職務質問です」
医者が患者に
「今日はどうされましたか?」
コーチ、コンサルタントが見込み客に
「あなたは将来どうなりたいですか?」



多くの状況で質問はされる。



そして質問には必ず“答え”が必要である。
逆に言えば、
“答えなき質問”は成立しない。


ちなみに、質問とは「疑う」事の一つである。
質問をする側は“答え”が分かっていれば
質問は必要なくなる。

しかし、その“答え”が分からないから質問をする。



そして質問に“答えられない“場合、
人は、さらに「疑い」を深める。



「なぜ、答えられないのか?」と。



悩みを明かさない友人に
「人には語る事が出来ない悩みなのか?!」
授業の補足を出来ない先生に
「この先生から学び続けて大丈夫なのか?」
警察の質問に答えない市民に
「この人は何か悪い事をしたのか?」
噛み合わない返事をする患者に
「この患者は脳に異常があるのか?」
将来が不明確な見込み客に
「この人は何を生きがいにしているのか?」



質問に“答えられてない“場合、
更なる質問をして、
“答えられない”ことの“答え”を導く。


そして、一つ一つ“答え”を導く。



そう、質問をされた人はそこで
“答える”という義務が発生するのだ。


質問をする人、される人の
人間関係が明確にある場合
どんな質問も許されてしまう場合がある。



一般男性が、女性に対して、
「月経はいつか?性行為の頻度は週何回か?」
と、聞けばセクハラに終わる。
つまり、“答える”義務はない。



しかし、これが医者の質問の場合はどうか?
白衣を着て、同じ質問をした場合、
おそらく全て答えるだろう。



そう、質問とは
”権力の行使“なのだ。



“答えたくない”事に対しても、
その立場など人間関係によっては
“答える”しかなくなる。



そして、この人間関係とは?
上下関係の差が大きければ、
質問も“答える”しかなくなる。
これはわかりやすい。



しかし、気付かないうちに
ついつい“答える”事をしてしまう人間関係がある。



それは、親身によりそってくる存在だ。そう、
「世のため・他人のため」
という大義名分で質問を繰り出す人だ。



なぜか「良い人そう」というだけで、
信頼してしまい“答える”事をする。



一度“答える”事をすれば、思うつぼだ。



その質問をする人にも
もちろん“質問する本当の意図”がある。