嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

それはただの”慰め合い”


「人の痛みを理解しよう。」
「自分がされて嫌な事は他人にはしない」



極めて道徳的、倫理的な考えである。



なぜ、この様な考えが語られるのか?



友人、恋愛、夫婦関係など・・・
昨今の情報社会においては、
面識のない人のSNSの投稿に傷ついたりと・・・・



自身の何気ない一言によって多くの人が傷つくからだ。



故に
「人の痛みを理解しよう。」
「相手の事を考えて発言しよう」
という言葉が言われる。



では、どのようにすれば
相手を傷つけず、発言や行動が出来るのか?



それは、自身の実体験を基にしている。
自身が傷ついたり、落ち込んだりした経験を基に
相手に同じ経験をさせないようにしよう。と。



しかし、実際はどうだろう?
いくら自身の経験を基に行動や発言をしても、
思わぬ結果を招くこともある。



「そんなつもりはなかった・・・・」



自身の思いや考えとは裏腹に、
実際は傷ついて終わることは多々ある。



なぜ、このような事態を招くのか?
それは、
“自身の考えの押し付け“
だからだ。



あくまで、“自分の実体験“であり、
相手にはなんの関係もないのだ。



ここで、理解し合える人が居たとしても、
それは、考え方や過去の経験がお互いに似ているだけであり、
多くの人には当てはまりにくい。
そもそも、あくまで似ているだけであり、
完全な理解ではないのだ。



そして、この理解の先には、
ただの慰め合い
しか残らない。



極端な例えではあるが、
道徳的、倫理的に「殴る」などの暴力は許されない。
しかし、一部の性癖者からすれば、
「殴られない」事の方が苦痛なのだ。



自身は殴られる事が嫌であっても、
人によっては「殴られたい」人だっている。



“自身の考えの押し付け“
が一番相手を傷つけるのだ。



では、どうすれば相手の事を理解できるのか?
となる。



実は、この
“相手の事を理解する”
という考え自体が間違えているのだ。



正しくは、
“相手の事は理解できない”
のだ。



ちなみに“相手の事を理解できる“状態とはどんな状態か?



スマホ同士が赤外線で情報を共有するように、
人同士が目と目を合わせれば思いや考えが理解し合え、
パソコンとパソコンをUSBケーブルで繋いで
情報を送受信するように、
人同士が手を繋ぐだけで情報や気持ちが読み取れる状態。



そう、もし“相手の事が理解できる”のであれば、
そこに言葉や優しさ、思いやりが必要なくなるのだ。



“相手の事を理解できない”からこそ、
その状況や場面において、また、
お互いの距離感、把握している考え方を考慮し、
表情を変え、言葉を選択することが出来る。



そう、ここに本来は
自身の実体験など必要ないのだ。