それは自身にとって都合のいい解釈
「あの時、もし○○していたら、命はなかった」
「あの時、変化をする事を選択したから、人生が変わった」
と、過去の選択が“良かった”もしくは“悪かった”
という風に考える人は多い。
また、別の考えで、
「あの時、○〇しなくても、必ず今の様になっていたと思う」
と、運命的なモノを感じる人もいる。
こういった考えはよく聞く。
もちろん、人であるなら最低でも一度は考えた事だろう。
では、この考えは
証明できるのだろうか?
まず、“良かった”を証明するには
反対の“悪かった”が必要になる。
これは、逆もしかりだ。
そして、その“良し悪し”の比較対象とは
「もし○○だったら・・・」である。
そう、「if」の世界だ。
しかし、「if」の世界を再現することができなければ、
その世界に行くことも出来ない。
そう、
「並行世界」
の存在は証明できず、
想像しかできないのだ。
過去の自分が「もし」別の選択をしていたなら・・・・
と、想像をする事で終わる。
もちろん、今の自分の考えを“肯定“する場合は、
「並行世界」の自分の考えを、“否定”する。
また過去の自分と似た様な選択をした他人の
結末を見た時に「if」はより明確に想像される。
「やっぱり○○しなくて良かった・・・」
「やっぱり○○した方が良かった・・・」
しかし、それはあくまで他人であって自分ではない。
やはり、もう一人の自分は存在しえないのだ。
そう、「並行世界」の自分と比べる事自体が無意味である。
ではこういった「並行世界」の自分
との比較は何を生み出すか?
それは
「都合の良い解釈」だ。
「やっぱり○○だ・・・・」
と、良し悪しに関わらず、
その考えをより強固にしていく。
一言で言えば.
思い込みである.
そう思いたいだけなのだ。
むしろ今の自分を“満足”させる最悪な結果を招く。
“満足”をすれば、それ以上を望まなくなる。
“成長”をしようとしなくなるのだ。
そして、思い込みが強くなればなるほど、
周りの声は届かず、自分ひとりの世界になる。
そんな事でしか自分自身を保てないのであれば、
現実世界では生きていけない。
なぜなら、現実世界にもう一人の自分は存在せず、
他人しか存在しないからだ。
そんな“たられば”を語っている時間があるなら、
目の前の現実と向き合うべきなのだ。