嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

「“偏見“を持っていない!」という偏見

“偏見”



この言葉を聞いて多くの人は何を感じるか?



シンプルに悪いイメージが強い。



言葉の意味としては、
偏った見方。のことだ



しかし、実際のところは誤った使い方が多い。



「その考え方は偏見だ!」
「その方法は間違えている!」
「この考え方が一番正しいんだ!」



お気づきだろう?
この意見こそが、“偏見”であることに。



では、この悪いイメージはなぜできたのか?



基本的には、自分の意見を通すときに使われる。



相手の意見との食い違いの際に、「偏見だ!」と。



もっとシンプルに言うと、
「自分の正義を貫くために、他人を悪と設定した。」だけなのだ。



この場合、正義を語る当人からしたら、
他人の食い違った意見は“偏見”でしかないのだ。



しかし、本来の使い方から見た場合、
“偏見”と語った当人の“偏見”なのだ。



ただ、わかっていても人は“偏見”の誤用をやめる事は出来ない



なぜなら、「自分を否定」
することになるからだ。



意見の違う相手の正しさを認める。それは、自分自身を否定すること。
無意識ではあるが、自己防衛が働いている。



しかし、この「自己否定」が出来る人は
ビジネスにおいて圧倒的に強い



理由は二つある。



一つは、相手を肯定する結果になるからだ。
「あなたは○○でアカンな!」と相手に言われたとしよう。



自己肯定が強い人は、
「そんな事はありません!」という。



しかし、自己否定が出来る人は、
「なぜ、私の癖がわかったのですか?!」
「それを見抜くとはすばらしいです。」



さあ、この後ビジネスの話をする場合、
どちらの話を聞きたいか?
わざわざ語るまでもない。



二つ目は
世の中の9割以上の人が、「自己肯定」しているからだ。
すれば、残りの1割ははっきり言って《違和感》を感じる。



ここが肝だ。
圧倒的《違和感》を与える事によって、
その人から話を聞きたくなるからだ。



「なぜ、そんな事を言うのだ?」と。
あとの説明において、ビジネス目的に繋がるトークをすればいいだけだ。
もし契約が欲しいなら、契約に繋がるように話をする。



“偏見”を理解している人は、
自身を肯定否定もできる。
その場で使い分けが出来るのだ。



そもそも論ではあるが、人が何かを語ること自体が“偏見”の塊なのだ。