嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

”結果”に対する”原因”を知ってどうする?

 
 
 
・うまくいかなのには、絶対に”原因”がある!
・成果を出すためには、絶対に”原因”がある!
 
 
この様に語る人は多い。
逆に言えば、
”原因”が分かれば、”結果”を変えられる。
という事。
 
 
”原因と結果の法則”である。
 
 
起こり得た”結果”に対して”原因”を求める行為。
なぜ、この法則が根強く支持されるのか?
次の通り、演繹的な三段論法であらわすと、
 
 
花が咲くには、芽を出す必要がある。
芽を出すには、タネを蒔く必要がある。
その、タネを蒔く事しなければ花も咲かない。
 
 
この様に、
花が咲く(結果)にはタネを蒔く(原因)が
必要不可欠であると言う事。
 
 
では、これは本当なのだろうか?
 
 
例えば、
ガンになったという”結果”に対して、
どのような”原因”があるだろうか?
 
 
食事だろうか?
運動だろうか?
添加物だろうか?
薬だろうか?
放射能だろうか?
ストレスを与える、
家庭だろうか?
会社だろうか?
プライベートだろうか?
 
 
ではこれらのうち、どれか一つを
もしくは、いくつかを”原因”とし、
それを改善していけば、
ガンという”結果”は変化したのだろうか?
はたまた、これから変化するのだろうか?
 
 
人によっては、上記のすべての因子が
あてはまる人でも、ガンにならない人もいる。
逆にすべての因子があてはまらない人でも、
ガンになる人はいる。
 
 
つまり、その”結果”に対しての”原因”は、
どれか特定する事はできない。
もし、それが原因である事を証明するには、
「if」の世界の自分が必要である。
「もし、原因を変えた場合の自分」のような、
並行世界はアニメやSFの話である。
 
 
そもそもであるが、”原因”も見方を変えれば
一つの”結果”である。
つまり、”原因”の”原因”は?
その”原因”の”原因”の原因”の”原因”は・・・・
さて?
これを求める事に一体なんの意味があるのだろうか?
 
  
そして、その証明できないものを”原因”としても、
今後の”結果”にどのように影響を及ぼすかも分からない。
 
  
では、なぜ人は”原因”を求めるのか?
  
 
”原因”がある事で人は、安心する。
「そうか!今という結果は、それが原因だったからか!」
と、納得をしたいだけである。
 
 
この様に、何かを”原因”とする行為は
その”原因”に対して責任転嫁をしているに過ぎない。
「仕方がなかった」と、思いたいだけである。
 
 
そして、セッションをする仕事の人において・・・
 
 
ヒアリングを重視する人達の多くは、
会話8割の「傾聴」において、
その過去(原因)を根ほり葉ほり聞き出し、
今という(結果)がどう作られたか明確にする。
 
 
そして、彼らは最後に一言この様に言う。
「あなたのこれからの未来に過去(原因)は関係ない!」
と、力強く語る。
 
 
だったら関係のない過去など、
初めから聞く必要などないだろう。
 
 
”原因”を求める事は目的ではない。
手にしたい”結果”があくまで目的である。
そして、これからの手にしたい”結果”は、
その今までの”原因”と関係はない。
 
 
”原因と結果の法則”は、
過去とそれが作り上げた今を見ているだけだ。
”原因”を知り安心や納得をし得ても、
目的を達成する事とは何の関係もない。