嫌われ者のすゝめ【巨悪の戦略で時代を生き抜く】

「人のため」「世のため」など、 キレイゴトばかり並べてビジネスをしていても人の事なんて幸せにはできない。 このノウハウを信仰する人間は、 他人のためと言いながら、 「自分自身が傷つきたくない」だけだ。 あげく、その事実に気付かない、 もしくは指摘されると認める事も出来ない。 1番の「悪人」はこういった、 考えで商品をお客様に提供している 事実に気付かない愚かな人間だ。 そんな「悪人」をやめて、 真に選ばれる存在になれ!

【与えられるな】

 
 
以前の仕事では救急救命士として
多くの”命のやりとり”を経験をしてきた。
 
 
病気による”死”
事故による”死”
墜落による”死”
自殺による”死”
殺人による”死”
原因不明の”死”
 
 
こういった”死”は
今の日本ではかなり非日常的なもだ。
またそれは平和な証明でもある。
  
 
この手から、こぼれた”命”は
もはや数える事ができないほどに。 
 
 
患者をみて5秒で緊急性を
判断できる観察力を身につけ。
ベストな心臓マッサージを身につけ。
点滴を取る技術を身につけ。
アドレナリンとブドウ糖の薬剤認定を身につけ。
気道確保の資格を身につけ。
 
 
救急救命士として最先端の力を身につけた。
しかし私の全力など極めて無力。
いつも己の無力さを痛感させられる。
 
 
いくら掴んでも掴んでも、
この手からこぼれる”命”
 
 
また、心拍が再開したとしても、
その”命”が望まれなければ、
翌日には消えて無くなる。
 
 
残された家族が患者に泣きつく姿を見て
何度、胸が裂けそうになったか。
 
 
残された家族から
「ありがとう」と言われて、
どれだけ申し訳なく思ったか。
 
 
「必ず助けます」
と、言ってはいけない世界。
これは禁忌な言葉。
 
 
それはなぜか?
医療従事の世界では
責任転嫁を恐れている。
それは助からない事を
心のどこかで認めているから。
 
 
そう。
救急救命士を含めて
医療従事者の力とは極めて弱い。
 
 
このように、自らが信じた道を進み、
最先端で流行りのノウハウやテクニックを
身につけた結果が何を生み出したか?
 
 
その行為を行えば行うほどに、
助けれられない現実と直面し、
その責任を恐れた結果、
その”命”を背負う覚悟すら持てない。
 
 
掲げた人を助けたいという
理想すら手にできない始末だ。
 
 
人は簡単に”死ぬ”
リアリティはないが、
まぎれもない事実である。
 
 
「今日が最後の1日だったら?」
 
 
このような言葉は
本でもよく書かれてるし、
多くの人が語っている。
 
 
しかし、
今の日本ではあまりに非現実的な話である。
多くの人に明日が来るからだ。
 
 
そういった意味では高確率の明日は
チャンスとも言えよう。
 
 
それでも、
その連続する明日はいつか来なくなる。
 
 
「その理想とする未来のために、
今日の1日を全力で過ごしたのか?」
 
 
どうせリアリティのない
この話は忘却の一途をたどるだろう。
だからこそ”今”立ち止まって考える必要がある。
 
 
その理想は本当に必要なものか?
そもそも理想はあるのか?
今日が全力だったのか?
今のままでいいのか?
 
 
これらを導くのは決して、
ニーチェカーネギーの素晴らしい言葉ではない。
手帳やノートに書いても意味はない。
成功者のありがたい言葉でもなければ、
波乱万丈な人生を送った人の言葉でもない。
 
 
また、ノウハウやテクニックを駆使した
コーチやカウンセラー、コンサルタント
などの指導者たちでもない。
 
 
こればかりは
”自分自身”で向き合わなければならない。
 
 
そしてその理想を達成するための手段は、
 
”与えられてはならない”
”ねだってはならない”
”求めてはならない”
 
 
自分自身で作り上げねばならないのだ。
 
 
そうでなければ、
守るべき大切な人はおろか、
自分自身の人生にさえ責任も覚悟も
持つことはできない。